二条城に行ったからには、近くの京都御所にも行ってきました。
とにかく広くって、それも私が思っていた以上に広い。
明治以前はここに天皇家がお住まいになってらしたと思うと、庶民感覚ではあるけれど、広くて大変だったな~なんて思ってしまう。
そして身分の違いで御所内でも通される場所、通って良い場所、出入り口、そして当然ながら門も決まっていたようで、皇族であっても通れる門は決まっていたということ。
私たちが入れる唯一の門。
皇居に入れる人はもちろん限られた身分の人で、車寄せまで馬車でいくのですが、建物の中を通って部屋に入れる身分と、外から歩いて部屋に入ることのできる身分と分けられるいる厳格さ
部屋の畳の淵の色に従えば、自分の通って良い部屋まで行ける仕組みになっていたそうです。
昔は生まれがすべて、と言われていて、天皇様やお殿様の奥方でも、正室でない方は、その方の実家によって子供たちのいく末も違ってくると、そんな何とも言えない社会の仕組みがあったのはほんの200年程前の事。
時代背景として認識するけれど、今ならばモヤモヤしたとしても、その当時であれば潔く受け入れてたんでしょうね。
だからなおさら秀吉とかは凄い!!ってあの時代の武将たちは思っただろうと。
私一人、ああでもなくこうでもなくと、勝手に自分なりの思い込みで妄想するのが面白くて、つい白熱してしまいます。
御所の中には色んな時代の建築様式も残ってて、それも文化的財産のようです。
重要な儀式の行われる紫宸殿が、朱塗りの建物の向こうに見える様子は下々には手の届かない高貴な場所って感じですね。
紫宸殿では即位の礼が行われる高御座がありますが、令和の即位の礼は、この高御座を分解してヘリで皇居に運び、そこで行われたそうです。
平成まではここ、紫宸殿で行われたんですね。
紫宸殿の屋根はヒノキの皮を使った檜皮葺と言われる伝統技法だそうです。
御所には、そんな伝統技法がありとあらゆるところで使われていて、天皇制があったからこそ、日本独特の伝統や文化も継承できたのかなあなんてぼんやり考えたりします。
鎌倉・室町・戦国と戦いの時代が長くあっても、天皇制は揺るぐことなく続き、権力闘争があってもちゃんと天皇の即位はありましたから。
細々ながら着付けを習ってる私、着物も日本文化そのものですが、習ってる私自身着物の事がよく分からず、着る人が少なく成ればそれに関連した技術の伝承は途絶えていくのは私にも理解できます。
自分のわかる範囲だけでも意識して伝えられるように暮していければと思います。
改めて京都を訪れると、感じるものがありますね。
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